東京地方裁判所 昭和61年(ワ)9958号 判決 1992年4月28日
原告
吉井幸男
原告
吉井陽子
右両名訴訟代理人弁護士
渡辺光夫
同
山本高行
同
安江祐
同
佐藤むつみ
同
土田庄一
同
安田寿朗
同
高山俊吉
同
堀野紀
同
花岡敬明
被告
国
右代表者法務大臣
田原隆
右指定代理人
開山憲一
外六名
主文
一 被告は、原告ら各自に対し、各金一一〇八万九八六五円及びこれに対する昭和六一年二月一八日より支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを四分し、その三を原告らの負担とし、その一を被告の負担とする。
四 第一項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告らの請求
被告は、原告らそれぞれに対し、各金五三四八万一七七五円及び内金四四六四万二七七円に対しては昭和六一年二月一八日から、内金八八四万一四九八円に対しては平成四年二月一日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、昭和五八年四月に防衛大学校(以下、単に大学校ということがある。)に入学し、同校の校友会のパラシュート部に所属していた吉井一伸(以下、一伸という。)が、同年一一月二七日、群馬県邑楽群千代田町の利根川河川敷上空における右パラシュート部の月例降下訓練に参加し、航空機からパラシュートを着用して降下したところ、右降下中に風に流される等して、降下目標地点から大きく外れて利根川に着水し、溺死するに至ったことから、一伸の父母である原告らが、防衛大学校の設置管理者である国に対して、安全配慮義務違反に基づく債務不履行又は不法行為責任による損害賠償請求権に基づき前記原告らの請求金額の支払を請求した事案である。
一原告らの主張
1 当事者等
(一) 原告吉井幸男は一伸の父であり、同吉井陽子は一伸の母である。
一伸(昭和四〇年一月二九日生まれ)は昭和五八年四月に防衛大学校に入学し、後記2記載の事故発生当時、同校の本科第一学年であり、同校の校友会の部の一つであるパラシュート部に所属していた。
(二) 被告は防衛庁及び防衛本庁の施設等機関である防衛大学校の設置管理者である。
土田國保(以下、土田という。)は、本件事故当時防衛大学校の校長かつ校友会会長であった。
秋山秀義(以下、秋山という。)は、本件事故当時防衛大学校の訓練部部長かつ校友会副会長であった。
橋場昭(以下、橋場という。)、山本雅章(以下、山本という。)及び寺村勇(以下、寺村という。)は、本件事故当時いずれも大学校の職員であり、坂元二郎(以下、坂元という。)は、本件事故当時自衛隊員であり、かつ橋場は校友会パラシュート部の部長を、山本、寺村及び坂元は同部の顧問をしていた。小宮国男(以下、小宮という。)は、民間人であったが、本件事故当時大学校から校友会パラシュート部の部外顧問として委嘱を受け、安全管理責任者の地位にあった。
2 事故の発生
一伸は、昭和五八年一一月二七日、山本及び寺村らに引率され、埼玉県行田市大字須加(群馬県邑楽群千代田町の対岸)の利根川河川敷上空における大学校のパラシュート部の月例降下訓練に同部員一三名とともに参加し、同日午前一一時三〇分ころ、降下訓練の安全管理責任者小宮の監督のもと、航空機からパラシュートを着用して降下したが、瞬間最大風速毎秒七メートル程度の強い北西の風に流されて、降下目標地点の利根川左岸河川敷より七〇〇ないし八〇〇メートル離れた利根川に着水し、溺死するに至った(以下、本件事故という。)。
3 被告の責任
(一) 債務不履行責任
(1) 被告の安全配慮義務
防衛大学校に入校した学生は、大学校との間に在学関係が成立するほか、特別国家公務員としての身分も取得し、公務員としての服務関係も成立することになるところ、右関係は、基本的に学生と大学校の設置管理者である被告との間の在学契約と雇用契約の混合した無名契約に基づいて成立するものであり、被告は右契約に内在する当然の義務として、その教育訓練活動全般において学生の生命、身体を損なうことのないように人的物的施設、装置等を整備し、学生の生命、身体の安全に配慮すべきいわゆる安全配慮義務を負っている。
(2) 校友会の性格
本件事故は、大学校の学内に組織された校友会に所属するパラシュート部の練習中に発生したものであるが、校友会活動は、以下のとおり、正課の教育訓練活動である公務もしくはそれに準ずるものである。
校友会は、大学校に在学する学生(普通会員)、大学校職員のうち入会を希望するもの(特別会員)及び代議員会が推薦し会長の承認したもの(名誉会員)をもって会員とし、文化・運動の各分野における活動を通じ、会員の品性の陶冶、体力の増進及び会員相互の親睦を図り、もって大学校の教育の完成に資することを目的として設立されたものである。その機関として、会長、副会長、参事会、部長会、会計監査委員会、代議員会及び学生委員会が置かれているが、そのうち学友会の会務を掌理し、同会を代表する会長は大学校校長であり、その任期は校長としての任期によるとされている。会長を補佐し、会長に事故がある時又は欠けたときにその職務を代行する副会長、会長の諮問に応じ、重要な会務を審議する参事会の参事、相互の連絡調整及び参事会の諮問に応じ会務を審議する部長会の部長及び校友会の会計事務全般を監査する会計監査委員会の委員はいずれも特別会員の中から会長が任命することになっており、その他代議員会の代議員議長、副議長及び書記、学生委員会の委員長、副委員長の任命権も会長が掌握している。
校友会には運動部・文化部及び同好会等が設けられ、各部には部を代表し、部活動の調整及び部員の指導に当たる部長一名、部長を補佐し、部長に事故がある時には部長の職務を代行する顧問一名以上等を置くことになっており、部長及び顧問は特別会員中より会長が任命することになっている。
また、大学校は、その教育の三本柱として、将来の幹部自衛官としての教育訓練、全寮制度に基づく学生舎生活とともに校友会活動を掲げ、学生をして必ず校友会のいずれかの部(特に低学年の間は基礎的体力錬成のため体育関係の部)に加入するよう指導し、しかもいったん部に加入した部員に対しては少なくとも六カ月間は退部を禁止して、正規の会合または競技への参加を義務づけている。
以上のように、校友会はその組織において大学校及び同校長を離れては存在しえないものであり、しかも学生は校友会活動への加入を強制されたうえ、脱退の自由を著しく制限されていること等を考慮すると校友会活動は単なる課外クラブ活動ではなく、大学校の行う正課の教育訓練活動で公務もしくはそれに準ずるものと考えるべきである。
したがって、被告は校友会活動においても、学生が生命身体の危険を受けることなく安全に教育訓練を受けるよう充分配慮する義務があるというべきである。
(3) 本件事故に際しての具体的安全配慮義務
パラシュート降下訓練が、相当な高度を飛ぶ航空機から跳び出し、パラシュートを開傘させ、操縦することによって降下目標地点をねらって着地する訓練であり、降下場の地形的状況、気象状況等に影響を受けやすく、一歩まちがえば降下目標地点から大きくはずれて着地するおそれがあること、かつ降下練習生の使用する「セブンTU傘」(初心者用の丸型落下傘)は開傘が容易で、着地における安全生には優れている反面、風による影響を受けやすいこと、特に本件パラシュート部の練習場所は利根川に近く、同川に着水する危険もあったこと等から、大学校のパラシュート部の練習には高度の危険性が存したものである。しかも一伸はパラシュート部に入部して本件事故まで八回の降下歴(降下日数三日)しか有しておらず、初降下から四か月も経過していない降下練習生にすぎなかった。
したがって、被告にはパラシュート部の活動に関して、次の措置を講ずる義務があった。
① パラシュート降下に伴う右危険を部員その他の関係者に周知徹底させ、適切な指図、指導を行うこと。
② パラシュート降下について充分な指導能力を有するものを部長、顧問として選任すること。
③ 本件事故当日の瞬間最大風速毎秒七メートル程度という危険な気象状況のもとにおいては、練習場所である利根川河川敷の状況を考えた場合、セブンTU傘を使用する降下練習生においては充分に利根川への着水の危険が考えられたのであるから、気象状況に応じて降下を中止する等の指導、監督をなすこと。
④ 利根川に着水した部員を救助するため、予め川岸に人員を配置したうえ、ボート、浮袋、ロープ等の装具を準備すること。
(4) 安全配慮義務の懈怠
① 土田は、防衛大学校の校長の地位にあるとともに校友会の会長の地位にもあり、校友会の運動部等の部長及び顧問を任命する権限を有しているのであるから、前記(3)①、②の措置を取るべき義務があるにもかかわらず、これを怠った。
② 秋山は、防衛大学校において校友会活動を統括する訓練部の部長かつ校友会副部長であるのだから、前記(3)①、②の措置を取るべき義務があるにもかかわらず、これを怠った。
③ 橋場は、本件事故当日はパラシュート部の降下訓練に参加していないが、同部の部長の地位にあり、部長は部を代表し、部活動の調整及び部員の指導にあたる義務があるのだから、前記(3)①、③、④の措置を取るべき義務があるにもかかわらず、しかも山本、寺村その他の者を通じてパラシュート部について安全対策上の措置が充分でないことを知りえたにもかかわらず、これを怠った。
④ 山本、寺村及び坂元はパラシュート部の顧問であるから、当然前記(3)①、③、④の措置を取るべき義務があるにもかかわらず、これを怠った。
⑤ 小宮は民間人であるが、パラシュート部の部外顧問であり、防衛大学校から委嘱を受けており、本件事故当日は日本落下傘スポーツ連盟作成の落下傘スポーツ規則(以下、スポーツ規則という。)における安全担当者(以下、C・S・Oと呼ぶことがある。)としてパラシュート部の降下実施に関し一切の権限及び責任を有する者であったのだから、当然前記(3)①、③、④の義務があるにもかかわらず、これを怠った。
⑥ 被告の履行補助者である土田、秋山、橋場、山本、寺村、坂元及び小宮の各前記安全配慮義務の懈怠により、前記のとおり本件事故が発生し、一伸は死亡するに至り、右一伸及び原告らは後記損害を被った。
⑦ よって、被告らは原告に対し右損害を賠償する義務を負う。
(二) 不法行為責任(国家賠償法一条)
土田、秋山、橋場、山本、寺村及び坂元はいずれも被告の公務員であり、小宮は民間人であるとはいえ、防衛大学校から校友会パラシュート部の降下の安全管理の委嘱を受けた者であるから公務員に準じる地位にあり、しかも右公務員(及びそれに準じる者)が防衛大学校の学生に対して行う教育訓練活動は公権力の行使に該当する。そして、校友会活動も上記(一)(2)に詳述したとおり、右教育訓練活動に準じるものである。
そして、右公務員(及びそれに準じる者)は防衛大学校の学生に対し前記無名契約上の安全配慮義務を負うほか、右契約を離れた一般的な関係においても右義務と同内容の安全配慮義務を負っているところ、上記(一)(3)、(4)のとおり、被告がこの安全配慮義務を怠った過失により本件事故が発生したのだから、被告は不法行為責任により後記損害を賠償する義務を負う。
4 損害
(一) 一伸
(1) 逸失利益 金六二四六万四三三五円
一伸は、本件事故がなければ大学校卒業後は、自衛官の道を歩み、二二才から自衛官を退官する五四才までの間自衛官として標準的に昇任し、自衛官の俸給等を得られ、右定年後は少なくとも六七才までは一般大学卒業者の給与等は得られた。そこで一伸の得べかりし利益を求めると、別表小計①、②の記載のとおり総合計一億二四九二万八六七〇円となるが、右総額から生活費五〇パーセントを控除すると、一伸の逸失利益の現価は合計六二四六万四三三五円となる。
(2) 慰謝料 金一八〇〇万円
本件事故は一伸がかねてからの念願であった防衛大学校に入校し、将来の幹部自衛官になることを夢みていた矢先に起こったものであって、その無念さ、精神的苦痛は想像を超えるものがあり、これに対する慰謝料は一八〇〇万円が相当である。
(3) 相続
原告らは一伸の相続人として、右(1)及び(2)の合計金八〇四六万四三三五円の損害賠償請求権をそれぞれ二分の一に当たる四〇二三万二一六七円(一円未満切捨て)ずつ相続した。
(二) 原告ら
(1) 慰謝料 各自金一〇〇〇万円
一伸は原告らの長男であり、原告らが同人の将来にかける期待はきわめて大きなものがあり、その支柱を失った原告らの精神的苦痛に対する慰謝料としてはそれぞれ一〇〇〇万円が相当である。
(2) 葬祭費 各自金六〇万円
原告らは、一伸の葬祭費として出損した金員のうち金一二〇万円を請求する。
(3) 弁護士費用 各自二六八万九六〇八円
原告らは、代理人である弁護士に対し、着手金として金三〇万円支払い、報酬として原告各自の認容額の合計五〇七九万二一六七円の一〇パーセントである五〇七万九二一六円を支払う旨約した。
(三) 原告ら各自について以上の合計 五三五二万一七七五円
(四) 損害の一部填補 原告ら各自金四万円
原告らは被告から埋葬金として金八万円の支払を受けた。
5 よって、原告らはそれぞれ被告に対し、債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償請求権として右(三)から右(四)を差し引いた五三四八万一七五五円及び内金四四六七万二七七円に対しては訴状送達の日の翌日である昭和六一年二月一八日から、残金八八四万一四九八円に対しては請求の拡張申立書送達の翌日である平成四年二月一日から各支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二原告の主張に対する被告の認否及び反論
1 原告の主張に対する認否
(一) 原告の主張1のうち、小宮が大学校からパラシュート部の部外顧問として委嘱を受けたものであることは否認し、その余の事実は認める。小宮はパラシュート部の部長の専決によって選任されたもので、大学校が選任したものではない。
(二) 同2のうち、本件事故による一伸の死亡の事実は認めるが、一伸が山本及び寺村らに引率されて降下訓練に参加したこと、一伸が瞬間最大風速毎秒七メートル程度の強い北西の風に流されたことは否認する。死亡原因については不知。一伸は北西から北北西に変わりつつあった風(降下目標地点の地上風は風速毎秒四ないし五メートルであった。)に対し、パラシュートの操縦を誤り、降下目標地点から約五〇〇メートル離れた利根川に着水したものである。
(三) 同3(一)、(1)のうち、被告と一伸との間の在学及び服務関係が雇用契約と在学契約の混合した無名契約によって成立することは否認する。防衛大学校が教育訓練活動に際し、学生の生命身体の安全につき配慮すべき抽象的責務を負うことは認める。
同3(一)、(2)のうち、校友会活動は単なるクラブ課外活動ではなく、大学校の行う正課の教育訓練活動で公務もしくはそれに準ずるものとする点及び被告は校友会活動においても、学生が生命身体の危険を受けることなく安全に教育訓練を受けるよう充分配慮する義務があるとする点は争う。
同3(一)、(3)のうち、本件事故当日までの一伸の降下歴については認めるが、その余は争う。
同3(一)、(4)のうち、土田は、防衛大学校の校長の地位にあるとともに校友会の会長の地位にもあり、校友会の運動部等の部長及び顧問を任命する権限を有していること、秋山は、防衛大学校において校友会活動を統括する訓練部の部長かつ校友会副会長の地位にあること、橋場は、本件事故当日はパラシュート部の降下訓練に参加していないが、同部の部長の地位にあること、山本、寺村及び坂元はパラシュート部の顧問であること、小宮は民間人であるが、パラシュート部の部外顧問であること、本件事故当日は安全担当者としてパラシュート部の降下実施に関し一切の権限及び責任を有する者であったことは認めるが、その余は争う。そもそも安全配慮義務の履行補助者といえるためには、被告の有する支配管理権を被告に代わって行う者でなければならない。
(四) 同3(二)のうち、土田、秋山、橋場、山本、寺村及び坂元が被告の公務員であることは認めるが、その余は争う。
(五) 同4の事実のうち、同(三)の事実は認め、その余はいずれも不知。
2 被告の主張
(一) 被告の反論
(1) 校友会活動の非公務性
以下のとおり、校友会活動は公務あるいはそれに準ずるものではなく、私的なクラブ課外活動にすぎない。
そもそも国家行政組織法等の法令に根拠を置くことのない校友会は、国の機関ないしは組織とはいえず、防衛大学校から独立した単なる任意団体(法人格なき社団)であり、その運営も防衛大学校の活動とは峻別されて、学生が構成員となっている代議員会、常任委員会及び学生委員会を中心に、学生によって主体的・自主的に運営されている。校友会各機関の役員等に就任している大学校職員はボランティア活動として校友会活動を支援しているにすぎず、その活動は原則として勤務時間外に行われている。以上については、東北大学、筑波大学等の一般国立大学における学生の課外活動団体の組織、運営等と比較しても校友会に際立った特徴はない。
また、防衛大学校は設立目的が幹部自衛官の育成という単一化されたものであり、学生に対する教育もその目的に沿うべく強い共同体意識のもとに実施されており、校友会活動も右精神をその組織、活動上反映させた結果として校友会各部への全学生加入を推奨しているにすぎない。現実には各部に加入していない者あるいは加入していても活動していない者も相当数存在し、加入ないし活動をしないからといって何ら不利益を受けるものではなく、部活動そのものはあくまで学生本人の自由意思によってなされるものである。
以上のように、校友会活動も一般大学の課外活動と異なるものではなく、いわゆる学生を主体にした私的な課外クラブ活動にすぎない。
よって、正課以外の校友会活動の際起こった本件事故について被告が安全配慮義務を負うものではない。
したがって、被告は債務不履行責任又は不法行為責任を負うものではない。
(2) 一伸の自損事故
仮に、校友会活動について被告が安全配慮義務を負うとしても、成年者あるいは成年者と同視しうる大学校の学生の主体的・自主的活動である校友会活動においては、右義務の範囲、程度は相当に軽減されるべきである。
そして、以下に詳述するように、本件事故は専ら一伸自身の過失により生起したものであり、一伸の自損事故というべきであって被告が責任を負うものではない。
① 本件事故当日の経過について
昭和五八年一一月二七日午前一一時二〇分、一伸らの搭乗した航空機が離陸した時のターゲット(降下目標)付近の地上風は北西から北北西に変わりつつあったが、風速は毎秒四ないし五メートルであった。
一番降下者であった一伸は、午前一一時二七分ころ、高度二八〇〇フィート(約八五三メートル)、スポッティング(航空機からの跳び出し位置)北西七〇〇メートル風上で、降下長山本の合図で跳び出した。一伸は約三秒後安定した姿勢でリップコード(手動により傘を開かせる装置)を引き、更に約四秒後に傘体は正常に開傘した。その後、右旋回して真後ろに風を受ける状態となり、そのまま五ないし六秒間追風を受け、風下に進んだので、直ちに地上から誘導板により、まず左に九〇度旋回するように指示した。一伸はすぐにこれに反応し、二ないし三秒間に左九〇度旋回した。更に続けて左に九〇度旋回するように指示したが、一伸は左に約一五〇度旋回し、風を右側方から受ける姿勢となったので、直ちに地上から逆の動作を指示したが、指示された方位に向いて正対するまでに相当の時間を要した。
午前一一時二九分ころ、二番降下者が降下したので、前記C・S・Oの小宮は一伸への指示を誘導板からハンドマイクに切替え、川までの距離を確認するように指示するとともに、地上待機者のパラシュート部員清水大介(当時本科第三学年、以下清水という。)及び池見俊介(当時本科第二学年、以下池見という。)を川の方向へ急遽派遣した。小宮は一伸に対し、川に着水するようであれば方向を変えて川を越え対岸に着地するように指示を繰り返したが、一伸は今度は風に正対したままの姿で傘を保持し、小宮の指示にしたがった操縦を行わなかった。
その後も風に正対した姿勢でいた一伸は、着水直前に左旋回し、そのまま対岸から約一〇メートルの位置に着水した。その際、一伸は水上降下が予想される場合に行うべき着水準備(装着している救命胴衣の二個のボンベを膨張させるとともに、両肩部離脱器の安全カバーを外し、フックに指を掛け、着水時直ちに傘体を切り離せるように準備すること)を行わなかった。
この時、小宮の指示により川の方向へ向かっていた清水、池見の両学生は水辺で着水の瞬間を確認し、傘の切り離しを大声で叫び、泳ぎ始めたが、一伸の着水地点に到着したときは、既に一伸は水没しており、傘体を掴み、懸命に回収に努めたが果たせなかった。
一伸が着水したことを土堤の上の監視員(日本学生スポーツパラシュート連盟の学生二名)が確認し、直ちに小宮に連絡し、小宮は寺村及びパラシュート部員梅澤聡(当時本科第四学年)を救援のため車両で対岸へ移動させた。車両で対岸に到着した者は直ちにロープ等により揚収に努めたが果たせなかった。
以後全員による懸命な捜索によっても一伸を発見することはできなかった。
午後一二時ころ、緊急通報により救助を要請していた行田消防署の救助隊が到着し、ボートによる捜索を開始した。
午後一二時一〇分ころ、着水現場から約三〇メートル下流で傘体を発見、直ちに引き揚げ作業を開始、午後一二時一八分ころ、一伸を発見、川岸に収容し、直ちに約二〇分間心臓マッサージ、人工呼吸を実施したが、蘇生しなかった。
② 本件事故原因について
一伸に対しては、昭和五八年五月校友会パラシュート部に入部して以降本件事故当日まで校内での基本訓練のほか陸上自衛隊習志野駐屯地にある第一空挺団の施設等を利用した着水訓練を含めた応用訓練を充分に実施した後、降下を実施させている。
しかも、本件事故当日の風速は毎秒四ないし五メートルであって、スポーツ規則によれば、利根川降下場のように降下場の中心または着地地域の中心から半径一五〇メートル以内に障害物のない降下場の場合は毎秒五メートルを超えない範囲での降下は同規則の許容するところであり、かつ一伸には万一の着水の事態も考えて、救命胴衣を装着させておいたのであるから、一伸を降下させたことには問題はないのであって、本件事故は、上記①のとおり、一伸が空中でのパラシュートの操縦を誤り、長時間風を後方ないし横方向から受けたため、風下に大きく流され、降下目標地点から約五〇〇メートル離れた利根川に着水し、そのうえ、水上降下が予測されたのにもかかわらず、もっとも基本的な動作である救命胴衣を膨らませ、傘体を切り放すという基本準備を怠ったために発生したもので、専ら一伸自身の過失によるものであり、一伸の自損事故である。
(二) 抗弁
(1) 過失相殺
仮に、被告に過失責任が認められるとしても、本件事故の原因は一伸の上記のとおりの行動にあったものであるから、本件賠償額の算定に当たっては右一伸の過失を斟酌すべきである。
(2) 損害の一部填補
原告らは、本件事故後、財団法人防衛弘済会から弔意金一〇五万円、防衛大学校校友会から弔意金一七一万円及び防衛庁共済組合から埋葬料八万円計二八四万円の支給を受けているから、仮に被告が損害賠償責任を負うとしても右金員を賠償額から控除すべきである。
三抗弁に対する原告の認否
1 抗弁(1)は争う。
2 同(2)については、原告が金二八四万円の支給を受けていることは認めるが、右金員は見舞金として受け取ったものである。
第三裁判所の判断
一一伸(昭和四〇年一月二九日生まれ)は昭和五八年四月に防衛大学校に入校し、同年一一月二七日の本件事故発生当時、同校の本科第一学年であり、同校の校友会の部の一つであるパラシュート部に所属していたこと、及び一伸は、同日、右パラシュート部における活動の際に本件事故により死亡するに至ったことは当事者間に争いがない。
二被告が校友会パラシュート部の部活動について安全配慮義務を負うかを判断する前提として、まず、防衛大学校、校友会活動及びパラシュート部の活動等につき検討する。
<書証番号略>、証人山本、同小宮(第一回)、同寺村、同松島順一、同坂元、同坂本孝及び同橋場の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると以下の事実を認定することができる。
1 防衛大学校及び校友会活動
防衛大学校は、将来自衛隊の幹部自衛官となるべき者を教育訓練することを目的として防衛庁が設置し管理運営している大学校で、一般国立大学が国立学校設置法、学校教育法、大学設置基準等の諸法令の規制を受けるのに対し、大学校は防衛庁設置法、自衛隊法、同施行規則、防衛大学校規則等の規制を受ける。大学校は、学生に対し、幹部自衛官として必要な一般的学力を授けるともに、前記設置目的に従い、一般国立大学にはない防衛学及び訓練の授業を行い、広く防衛に関する基礎的知識を授け、陸上、海上、航空各自衛隊の隊員となるために必要な基礎的訓練等を実施し、その職責を理解させ、これに適応する資質及び技能を育成する教育訓練を行っている。それに加え、大学校は学生に秩序ある共同生活を営ませるため全寮制をとり、外出、外泊を制限するとともに、校友会活動を奨励している。大学校は、大学としての教育及び将来の幹部自衛官としての訓練、学生舎生活並びに校友会活動を大学校教育の三本柱としている。
大学校の学生の身分は防衛庁の定員外の職員かつ自衛隊員であって、特別国家公務員としての身分を有する者である。
大学校には、本校に在学する学生(普通会員)、本校職員のうち入会を希望するもの(特別会員)および代議員会が推薦し会長の承認したもの(名誉会員)をもって構成される防衛大学校校友会があり、右校友会は文化・運動の各分野における活動を通じ、会員の品性の陶冶、体力の増進及び会員相互の親睦を図り、リーダーシップ等を育成し、もって大学校の教育の完成に資することを目的として昭和二八年一一月三日に設立されたもので、校友会会則により、機関、部活動、安全管理、会計等が規定されている。
校友会は、機関として、会長、副会長、参事会、部長会、会計監査委員会、代議員会及び学生委員会を持つ。会長は校友会の会務を掌理し、同会を代表し、大学校校長が会長となり、その任期は校長としての任期によるものとされている。副会長は会長を補佐し、会長事故ある時又は欠けたときにその職務を代行し、参事会は会長の諮問に応じ、重要な会務を審議し、部長会は会務の円滑な運営に資するため、相互の連絡調整並びに参事会の諮問に応じ会務を審議し、会計監査委員会は会長に直属し、校友会の会計事務全般を監査し、代議員会は事業計画・運営・予算・決算その他の会務を議決し、学生委員会は校友会会務を執行し、事業計画・運営・予算・決算その他の会務につき、必要な議案並びに報告を代議員会に提出することとされている。そのうち、副会長以下各機関の構成員は最終的に会長が任命することになっている。
本件事故当時、会長は土田、副会長は秋山であった。
大学校の組織の中に訓練部学生課課外活動係(本件事故当時は、学生課補導係校友会担当の名称であったが、その所管内容については変わりない)があり、そこでは校友会活動の年間計画等の起案承認の手続き、学校行事等と校友会活動の日程が重ならないようにする全般的な調整、各種活動の記録の整理、保管等の事務を行っている。
校友会の中に、体育、文化活動を通じて学生の気力、体力を練成し、情操を培い、相互の親睦を図ることを目的として運動部・文化部及び同好会等が設置されている。普通会員である学生は必ず部等に加入しなければならないし、同一部等に少なくとも六カ月以上連続して加入しなければならないとされている。特に低学年の間は、基礎的体力練成のため体育関係の部へ加入するように指導されており、実際もほぼそのように運用されている。学生はどの部に入部するかは自主的に選択でき、校友会活動自体も主に課業外の余暇を利用して自発的意思に基づいて行われており、部の練習計画も学生によって自主的に企画されたうえ、部長及び大学校の課外活動係に提出され、その承認を受けることになっている。また、各部には部を代表し、部活動の調整及び部員の指導に当たる部長一名、部長を補佐し、部長に事故のある時には部長の職務を代行する顧問一名以上等を置くことになっており、部長及び顧問は特別会員中より会長が任命することになっている。
かかる校友会活動の一環としての運動部の一つにパラシュート部があった。
2 パラシュート部の活動について
(一) 原告吉井幸男は一伸の父であり、同吉井陽子は一伸の母である。
一伸は昭和五八年四月に防衛大学校(人文・社会科学専攻)に入校し、学生隊の第一大隊第四中隊第四小隊に所属するとともに、同年五月に校友会パラシュート部に入部した。
(二) パラシュート降下は、高度約二八〇〇フィート(約八五三メートル)程度にある航空機から空中に跳び込み、空中姿勢をとり、パラシュートを開傘し、パラシュートを操縦して、地上に置かれたターゲット付近に着地するスポーツで、降下場の地形的状況、風向、風速等の気象条件の影響を受け易いため、操縦を誤れば、ターゲットから大きく外れて着地する危険や着地時点で前進スピードが相当ついているため着地の衝撃が大きくなる危険その他パラシュートが開傘しない危険等があることから、パラシュート降下を安全に実施するためには、スカイダイビングに関する基礎理論の理解とともに各種訓練が必要とされている。
そこで、パラシュート部は大学校の四年間を前期、中期、後期の三段階に区分し、段階的な訓練を実施している。前期訓練は、実降下六回を体験するまで(時期的には入部から夏季合宿まで)で、「飛行機から跳び出す動作」「空中での各種動作」「パラシュートの開傘」「パラシュートの操縦」「着地動作」等の各種動作を約三か月間かけて校内及び陸上自衛隊習志野駐屯地(千葉県船橋市薬円台町所在)にある第一空挺団の訓練施設を借用して地上において訓練した後、実降下を実施する。実降下は、初降下から五回目の降下までは、自動索をつけて自然に開傘する降下を体験させるとともに、模擬のリップコードを引く動作を訓練した後、六回目からは降下者自らリップコードを引いて開傘する段階に進んでいる。中期訓練は、落下傘スポーツ規則における降下技能章A(自動索降下あるいは、自動索降下を含む自由降下により最低一〇回の降下を実施した者)取得を目標に、前期で実施した訓練及び月例降下を反復して練習するもの(時期的には二学年進級時まで)である。後期訓練は、降下技能章C(B章以上が国際ライセンスで、C章以上は教官としての資格を有する)取得を目標に、主として月例降下により訓練するもの(時期的には大学校卒業時まで)である。
(三) 本件事故当時、部長として橋場、部内顧問として山本、寺村及び坂元が置かれ、部活動に対して、専門的見地から必要な指導・助言及び援助を行うため、会長の任命により部外顧問として小宮が置かれていた。
橋場は、大学校指導教官の地位にあり、降下歴については、スポーツパラシュート降下の経験はないが、空挺団におけるパラシュート降下の経験を十分有していた。山本は、大学校訓練部訓練課に所属し、降下歴は一八四回で、降下技能章Cを有していた。寺村は同訓練部に所属し、降下歴は四六四回で、降下技能章Bを有していた(但し、B章取得は昭和四七年のことである。)。坂元は陸上自衛隊武器学校研究部研究員の地位にあり、降下歴は二九〇回で、降下技能章Dを有していた。小宮は藤倉航装株式会社に勤務していたが、日本落下傘スポーツ連盟の常任理事、訓練安全委員長の地位にあり、降下技能章Dを有し、大学校の月例降下訓練においては、落下傘スポーツ規則八条に規定されている日本落下傘スポーツ連盟及び訓練安全委員会の認証を受けた安全管理者の地位にあった。
三被告の安全配慮義務について
1 安全配慮義務一般について
原告は、被告の責任原因として債務不履行としての安全配慮義務違反を主張し、右義務の根拠として原告と被告間における在学契約と雇用契約の混合した無名契約の存在を主張する。
しかし、防衛大学校における学生の在学関係は、私立大学におけるように契約によって生じるものではなく、一般国立大学と同様に行政主体の行政処分(入学許可)により生ずる公法上の法律関係であると解するのが相当であるから、右原告の主張は採用しえない。
しかしながら、国は防衛庁の機関として防衛大学校を設置し、これに学生を入学させることにより学生に対し施設等を供与し、防衛大学校規則に定めるような所定の教育訓練を施す義務並びに防衛庁職員給与法により学生手当及び期末手当を支払う義務を負い、他方学生は大学校において教育訓練を受けるという関係にあるのであるから、右両者は特別な社会的接触の関係に入ったというべきであり、学生は大学校から教育訓練の場を指定され、その供給する設備、器具等を用い、配置された職員の指導、監督のもとに教育訓練を受けるものであるから、大学校の設置者である国は、信義則上、学生に対し、教育訓練義務遂行のために設置すべき場所、施設及び器具の設置及び管理または学校職員の指導監督のもとに遂行する教育訓練の管理に当たって、学生の生命、身体及び健康等を危険から保護するように配慮すべき安全配慮義務を負うものと解すべきである。
従って、本件事故当時、被告は、その設置する防衛大学校に在学していた一伸に対し、教育訓練の場(本件では、同校校友会の部活動としてのパラシュート部の月例降下で、右部活動の性格については以下で詳述する。)において生じる危険から同人の生命、身体、健康を保護し、その安全に配慮する義務を負っていたものである。
2 校友会パラシュート部における安全配慮義務について
一伸が所属していたパラシュート部は、大学校校友会の運動部の一つであり、右部活動において本件事故は発生していることから、パラシュート部の部活動の性格が問題となる。
前記二1のとおり、学生にとって、校友会の部活動は、どの部に入部するかの選択が任せられていること、年間の活動計画を自主的に企画していることなど主体性が認められている面もあるが、他方、大学校から必ず部等に加入すること及び同一部等に少なくとも六カ月以上連続して加入することを奨励され、特に低学年の間は、基礎的体力練成のため体育関係の部へ加入するように指導されており、実際そのような運用がなされている点を考慮すると一般の大学校の課外クラブ活動とは若干異なった面を有することは否定できない。
しかも、大学校が将来の幹部自衛官となるべきものを教育訓練するという明確な目的のために設置されている点に照らし、大学校は、正課の教育訓練過程はもちろん学生舎生活及び校友会活動を含めた生活そのものを教育の場ととらえ、校友会活動も教育の重要な一環と捉えていると認められる。右のことは、一伸が入校したときの訓練部長講話において大学校教育の三本柱の一つとして校友会活動を強調していること、校友会の組織において、各機関の構成員の任命権について、大学校校長である校友会会長が掌握していること等にも窺われる。
以上の点を考慮すると、大学校は正課の教育訓練についてのみならず、校友会の部活動についても教育的立場からこれを規律し、管理する権限を有し、その管理、教育権限に対応する範囲内で校友会の部に所属する学生の身体、生命について安全配慮義務を負うものというべきである。
しかも、校友会のパラシュート部については、その部活動の訓練の危険性に照らし、右安全配慮義務は具体的に現れるといわなければならない。
すなわち、前記二2のとおり、パラシュート降下が、相当高度のある航空機から空中に降下するものであって、降下場の地形的状況、風向、風速等の気象条件の影響を受け易いため、操縦を誤れば、ターゲットから大きく外れて着地する危険や着地時点で前進スピードが相当ついているため着地の衝撃が大きくなる危険その他パラシュートが開傘しない等の危険を内包していること、したがってパラシュート部においては、安全に降下するための訓練として年間計画が周到にたてられているうえ、実際の降下の指導監督にあたっている部長、顧問等については降下歴の多いパラシュート降下のベテランで、実質的に指導監督能力のあるものが選任されていることを考えると、大学校としては、物的施設及び人員配置を整備充実したうえ、部長、顧問等を通じて学生に対してパラシュート降下の安全確保に対する注意を喚起するための指導助言をなすことだけで安全配慮義務の履行として足りるものではなく、パラシュート部の日常的な部活動の場において個々の危険から学生を保護するため具体的状況に応じた方策を講じる等具体的な指導監督を行い、もって、学生の生命及び健康等を危険から保護するように配慮すべき義務があるものというべきである。
そして、パラシュート部の部活動においてこの安全配慮義務を履行できるのは、実際に部活動においてパラシュート降下訓練を指導監督している部長及び顧問であり、したがって、右安全配慮義務の履行補助者も部長及び顧問の全体と解するのが相当である。
四次に被告が本件において具体的に安全配慮義務に違反していたか否かを判断する前提として、本件事故発生の経緯について検討する。
<書証番号略>、証人山本、同小宮(第一回、第二回)、同佐藤良彦、同松島順一、同坂元及び同橋場の各証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、本件事故発生の経緯について以下の事実を認定することができる。
1 一伸の訓練状況
(一) 一伸は、昭和五八年五月一六日から同年七月一日までの間、パラシュート部の前期練習計画に従い校内において基礎知識・技術・体力の向上を図るため、落下傘で実降下して地面に着地する時の衝撃を和らげるための着地訓練、飛行機から跳び出した瞬間において体の安定を保つための空中姿勢の訓練及び非常事態の各対処要領の訓練等基礎訓練を三三時間、座学(傘包装)を一〇時間受けた。
この間六月一一日から一二日及び六月一八日から一九日の二回にわたり、陸上自衛隊習志野駐屯地にある第一空挺団の訓練施設において、器材を借りて実際の降下に近い形で訓練を実施し、その内容としては、新入生初降下のための基本着地訓練台による基礎着地訓練、実降下に近い着地速度及び揺れを与えて着地方向に応じる動作の訓練、空中での大の字姿勢・左右対象・体のそりを訓練する懸吊姿勢訓練、跳び出し塔による跳び出し、空中姿勢・プル操作・予備傘動作訓練、操縦訓練、走行着地訓練を合計一四時間実施した。
(二) その後、一伸は、同年七月三一日から同年八月四日にかけて、第一空挺団において実施されたパラシュート部の夏季合宿に参加し、前記各訓練合計一七時間の実施を受けたのに加え、着水訓練場を利用し、救命胴衣の構造・機能および使用法の説明を受けた後、救命胴衣を装着し、プールにロープをはって滑り出た状態で救命胴衣を膨らませて、傘体を切離し、着水し泳ぐという着水・浮遊動作の訓練三時間の実施を受けた。
一伸は、同年八月四日午後、群馬県館林市に移動し、群馬県邑楽群千代田町の利根川降下場において翌五日初降下(風向南、風速毎秒五メートル)を行った。
パラシュート部は、ターゲット付近の障害の有無、地質、飛行場との距離、気象条件の安定等の諸条件を考慮したうえ、降下場としては右利根川降下場が最適であると判断し、右降下場を月例降下の練習場として使用していた。
この時、一伸が使用した落下傘は、セブンTU傘というタイプのものであった。これは保安用の丸型パラシュートをスポーツ用のパラシュートに改造したもので、傘体がアルファベットTとUとを組み合わせた形にカットされており、左右縦型の二つの大きなカットの間に七個の連続する小さなカットがあることからセブンTU傘と呼ばれている。その標準のものは円型二八フィート傘(直径8.53メートル)で、傘体のカットから抜き出る空気の力で前進し、左右の大きなカットのいずれかのコントロールライン(操縦索)を引っ張り、空気の抜け出る方向を変化させることによって左右に旋回できる構造を有している。右タイプのパラシュートは安全に開傘すること、前進する、降下する、旋回するという機能が他のタイプのパラシュートに比べると劣るが、その反面において前進スピードが抑えられているため安全に地面に着地できることや降下スピードの変化が少ないため比較的荒い操縦をしても傘の揺れがすくないこと等から初心者用のパラシュートとして当時一般に使用されていた。右初降下以降、一伸は本件事故当時まで降下の際はすべてセブンTU傘を使用していた。
一伸は同日の一回目の降下において、ターゲットの五〇メートル以内に着地した。同日は二回目、三回目の降下を実施したが、いずれもターゲットから五〇メートル以内に着地した。更に翌六日(風向南、風速毎秒三メートル)に四回目から六回目の降下を実施したが、六回目にターゲットから約一五〇メートルに着地したほか他の二回はいずれもターゲットから五〇メートル以内に着地した。なお、五回目までの降下は、自動索をつけて自動的に開傘させていたが、六回目以降から自分でリップコードを引き開傘させた。
(三) 右訓練以後、一伸は中期練習計画に従い校内において基礎訓練を続け、同年一一月一九日からパラシュート部の月例降下に参加し、翌二〇日(風向北、風速毎秒0.5メートル)に七回目、八回目の降下を実施し、いずれもターゲットから五〇メートル以内に着地した。
2 本件事故の概要
(一) 本件事故前日の状況
一伸はパラシュート部の計画に基づく月例降下のため、同年一一月二六日課業終了後の午後二時ころ他の部員及びパラシュート部顧問とともに本校を出発、午後八時ころ宿舎に到着した。
一伸は、同日午後九時から一〇時までの間、降下のための注意事項の説明を実施され、顧問山本及び同寺村から風向き、風速の確認要領、リップコードを引くときの姿勢、傘の操縦方法、タイマー(自動開傘装置)の装着等について改めて注意を喚起された。
(二) 本件事故当日の状況
(1) 一伸は、翌二七日午前六時三〇分に起床、所要の準備の後、午前七時三〇分他の部員とともに宿舎を出発し、駆け足で大西飛行場に移動した。
当日の降下訓練には合計三二名が参加し、その中には日本学生パラシュート連盟所属のクラブ員も含まれていた。
午前七時四五分ころ同飛行場に到着し、パラシュート部主将の橋本晃男(当時本科第三学年)等の指示により、包装資材の展張、装具の整頓等の後、約三〇分間準備運動、姿勢練習及び着地訓練を実施した。この間、寺村は日本学生スポーツパラシュート連盟所属の学生二名及びパラシュート部の部員三名とともに、約五キロメートル離れた降下目標地域に移動し、風速計、吹き流しの設置、飛行場との無線通信の準備等を実施した。なお、右風速計は瞬間風速を測定するもので、降下開始前及び吹き流しの状況を見て、著しく状態が変化したときに三分以上五分くらいの間測定し、その間で平均的な指示量を測定するという方法を採っていた。
午前九時ころ、日本学生スポーツパラシュート連盟及びパラシュート部の共通の安全管理責任者である小宮が同飛行場に到着し、当日は薄い雲が少しあったが、ほぼ快晴であり、風も降下に支障がないことから、降下は午前一〇時から開始すること等が示され、その後当日の降下編成、降下長等が発表され、降下員の技量等を考慮して一伸は四番機の一番降下者に指定された。なお、降下長は搭乗航空機離陸後よりすべての降下者が航空機から離れるまでの降下に関する全責任を負い、降下者は航空機離陸後降下実施までは降下長の指示に従わなければならないとされていた。
(2) 午前一〇時一八分、一番機が離陸したが、その際の風速は四メートル前後の風が平均的に吹いている状況で、同一〇時二五分ころ、ターゲット上空から着地するまでの総合的な風の方向と強さを知り、降下する地点を決定するため、ターゲット真上でウインドストリーマー(風による偏流を調査する帯状の紙)を三本投下し、七〇〇メートルの偏流を確認し、右偏流及び一番機の降下者が使用するパラシュートがPC型であったことも考慮して、スポッティングをターゲットの北西七〇〇メートル風上に設定した。そして、二旋回目で一番降下者(近藤文男、当時法政大学二年、降下歴約四〇回)、三旋回目で二番降下者(松川克信、当時拓殖大学三年、降下歴七〇回)及び降下長(守屋峰晴、当時日本学生スポーツパラシュート連盟OB)が降下した。この時の地上風は北西毎秒四ないし五メートルであり、一番機の降下者は全員ターゲットから一〇〇メートル以内に着地した。
(3) 午前一〇時三九分、二番機が離陸した。同機の一番降下者(長谷川勇人、当時東洋大学一年、降下歴八回)及び二番降下者(山岸正澄、当時東洋大学一年、降下歴九回)がセブンTU傘を使用すること、風が若干強くなったことから降下長の坂元は、スポッティングを北西一〇〇〇メートル風上に設定したところ、一番降下者はターゲットから風上約三〇〇メートルに着地したため、二番降下者のスポッティングを北西八〇〇メートルに設定したが、二番降下者はターゲットから風上約一五〇メートルに着地した。
(4) 午前一一時四分、三番機が離陸した。降下長の坂元は、二番機の降下状況を考慮して、スポッティングを当初のターゲットの北西七〇〇メートル風上に戻したところ、一番降下者(高田滋人、当時独協大学一年、降下歴九回、セブンTU傘使用)はターゲットから約五メートル、二番降下者(山野井真一、当時横浜翠嵐高校二年、降下歴一〇回、セブンTU傘使用)はターゲットから約五〇メートル、坂元はほぼターゲット上に着地した。
(5) 午前一一時二〇分、一伸、佐藤(セブンTU傘使用)及び降下長山本が搭乗した四番機が離陸した。このころ、坂元が風速計で風速を測定したところ、ターゲット付近の地上風は北西から北北西に変わりつつあり、風速計の指示量は平均的には毎秒四ないし五メートルであったが、時折毎秒七メートルの風が測定されており、当初より風が強くなった状況であった。そして地上風の右状況から見て、上空風はそれよりも強いことが予測された。
(6) 午前一一時二七分ころ、高度二八〇〇フィート(約八五三メートル)、スポッティング、ターゲットの北西七〇〇メートル風上で、一番降下者である一伸が、降下長の山本の降下の合図で飛行機の進行方向に向かって跳び出した。
以降の一伸の降下状況は別図(本件事故現場付近の地図に一伸の降下状況を平面的に図示したもの)記載のとおりであり、跳び出し後、約三秒後に安定した姿勢でリップコードを引き、更に約四秒後にA地点で傘体は正常に開傘し、風に正対する状態(向かい風を受ける状態)になった。
一伸はその後、旋回してB地点で真後ろに風を受ける状態となり、そのまま五ないし六秒間追風を受け、風下に進んだので、小宮は直ちに地上から誘導板により、まず左に九〇度旋回するように指示した。一伸は小宮の指示に反応し、二ないし三秒間に左に九〇度旋回し、C地点に至った。
更に続けて小宮は一伸に対し左に九〇度旋回するように指示したが、一伸は左に約一五〇度旋回し、D地点において風を右側方から受ける姿勢となった。そこで、小宮は直ちに地上から一伸に対し逆方向の動作をするように指示したが、一伸は指示された方位に向いて風に正対するまでに相当の時間を要し、E地点に至ってはじめて風に正対した。
(7) 午前一一時二九分頃、二番降下者が降下した。
そこで、小宮は一伸への指示を誘導板からハンドマイクに切替え、川までの距離を確認するように指示したが、一伸はその指示を了解した際になすべき動作を示さなかった。そこで、小宮は一伸がターゲット上空を通過するところ、地上待機者の大学校パラシュート部員清水及び池見を利根川の方向へ急遽派遣するとともに、一伸に対し、利根川に着水するようであれば方向を変えて利根川を越えた対岸に着地するように指示を繰り返したが、一伸は風に正対したままの姿勢で傘を保持し(利根川を越えるためには風を真後ろに受けるように傘の方向を転換しなければならない。)、小宮の指示に従った操作を行わなかった。
(8) その後も風に正対した姿勢でいた一伸は、利根川に着水直前のF地点で左旋回し、そのまま対岸から約一〇メートル手前の位置で着水した。その際、一伸は水上降下が予想される場合に行うべき着水準備(装着している救命胴衣の二個のボンベを膨張させるとともに、両肩部離脱器の安全カバーを外し、フックに指を掛け、着水時直ちに傘体を切り離せるように準備すること)を行わなかった。
この時、小宮の指示により利根川の方向へ向かっていた清水、池見の両学生は水辺で一伸の着水の瞬間を確認し、傘を切り離すように大声で叫び、利根川に入って泳ぎ始めたが、一伸の着水地点に到着したときは、既に一伸は水没しており、傘体は掴み、引き揚げようとしたものの果たせなかった。
(9) 一伸が着水したことを利根川土堤の上の監視員(日本学生スポーツパラシュート連盟の学生二名)が確認し、直ちに小宮に連絡し、小宮は寺村及び大学校パラシュート部員梅澤聡(当時本科第四学年)を救援のため車両で対岸へ移動させた。車両で対岸に到着した者は、直ちにロープ等による一伸の揚収に努めたが果たせなかった。
(10) 午後〇時ころ、緊急通報により救助を要請していた行田消防署の救助隊が到着し、ボートによる捜索を開始した。
午後〇時一〇分ころ、着水現場から約三〇メートル下流で傘体が発見され、直ちに引き揚げ作業が開始され、午後〇時一八分ころ、一伸が発見され、川岸に収容された。その時の一伸の状態はパラシュートの本体から伸びている吊索の細い紐が体中に巻きついた状態であった。一伸は直ちに心臓マッサージ、人工呼吸を実施されたが、蘇生しなかった。
(11) 午後二時一五分ころ、現場において検視が行われ、午前一一時三五分(推定)溺死と検案された。
その後、行田警察署により主傘、救命胴衣等の装備品の検証が行われたが、事故原因に影響を及ぼす不備事項はなかった。
五被告の責任について
1 具体的安全配慮義務の内容及びその有無
(一) 前記認定のとおり、パラシュート降下が、相当の高度にある航空機から空中に降下するというそれ自体極めて危険な形態のものであるのみならず、傘体の種類、降下場の地形的状況、気象状況に影響を受け易いため、操縦を誤れば、ターゲットから大きくはずれて着地する恐れや着地点で前進スピードが相当ついているため着地の衝撃が大きくなる恐れ等があって降下者の生命、身体に重大な危険が予測されるものであることからすると、パラシュート部の降下訓練の指導にあたるものは、事故防止策として当該学生が降下する際に、学生の技能、体力、体調等及び当日の気象条件にも十分配慮し、特に初心者の場合は、スポーツ規則に定められるような(日本落下傘スポーツ連盟作成の落下傘スポーツ規則・<書証番号略>は、練習生については、降下場の地上風速が毎秒五メートルを超えたときは降下をしてはならないと定めている。)地上風が毎秒五メートルを超える風が吹く場合には、いったん降下を見合わせる等の措置をとり、降下者のパラシュートの操作方法の未熟さや気象状況に起因する不慮の事故が起こることを防止すべき注意義務を負うものといわなければならない。
(二) ところで、小宮は昭和四三年ころに大学校長からパラシュート部の部外顧問として任命され、実降下に対する安全面の管理を行ってきており、本件事故当日も降下訓練に参加し、降下実施について一切の責任を有する安全管理者の立場にあり、また寺村、坂元及び山本は同部の部内顧問として本件事故当日も降下訓練に参加し、一伸の降下時においては、寺村及び坂元はターゲット付近で風速等の測定を行っており、山本は一伸とともに四番機に同乗し同機の降下長の立場にあったものであるが、前記認定のとおり、一伸が降下する直前の地上風は、風向きが北西から北北西に変わるとともに、風速も毎秒四、五メートルの風が恒常的に吹いている状況から七メートル程度の風が吹く状態に変わっていたのであるから、一伸を降下させるについては、地上にいた小宮、寺村、坂元は、一伸がいまだ未熟な降下練習生であること、一伸の使用していたセブンTU傘が初心者用のもので、操縦性に欠けるところがあること、及び降下場が利根川の河川敷で、川岸に予めボート、浮き袋、ロープ等の装具の準備がなかった(当事者間に争いがない。)こと等から、かかる状況のもとで一伸を降下させれば、一伸が操縦を誤り、風に流されて利根川水上に着水し本件のごとき重大な事故が発生することを客観的に予測しえたというべきであるから、小宮、寺村、坂元はかかる危険に思いを致し、一伸の技量に鑑み、事故の発生を未然に防止するために、ターゲットを取り除き、発煙筒をたく等により一伸の降下を中止させ、もって一伸の生命の安全に配慮すべき義務があったものといわなければならない。
しかるに、小宮、寺村、坂元は、そのまま一伸を降下させたのであるから、右安全配慮義務に違反したもので、その結果、本件事故が発生したものといわざるを得ない。
(三) したがって、被告は、履行補助者である小宮、寺村、坂元の右安全配慮義務違反により生じた本件事故によって原告らが被った後記六記載の損害につき、債務不履行責任に基づき、これを賠償すべき義務がある。
六原告らの損害
1 一伸
(一) 逸失利益
<書証番号略>及び原告吉井幸男の供述によれば、本件事故当時、一伸が一八才の健康な男子であったこと、本件事故がなければ、二二才となった昭和六二年には大学校を卒業し得たものと認められ、同大学卒業時の二二才から六七才まで四五年間就労可能であったというべきである。
そこで、平成二年度賃金センサス第一巻、第一表、産業計、企業規模計、男子労働者、旧大新大卒、全年令平均給与額を基礎として、原告の平均年収を計算すると六一二万一二〇〇円(一か月当たりの所定内給与額三七万四四〇〇円を一二倍にしたものに年間賞与その他特別給与学一六二万八四〇〇円を加えた額)となるところ、右稼働期間中の生活費は収入の五〇パーセントと認められるから、これを控除したうえ、ライプニッツ方式(係数17.7740)により中間利息を控除して一伸の逸失利益を計算すると金五四三九万九一〇四円(一円未満切捨て)となる。
6,121,200×0.5×17.774=
54,399,104
なお、原告らは、本件事故がなければ大学卒業後は、自衛官の道を歩み、二二才から自衛官を退官する五四才までの間自衛官として標準的に昇任し、自衛官の俸給等を得られたと主張するが、本件ではこの算定方法の合理性が十分に立証されているとはいえないから、右算定方法は採用しない。
(二) 慰謝料
<書証番号略>及び原告吉井幸男の供述によれば、本件事故当時、一伸は念願の防衛大学校に入学し将来は幹部自衛官の道を歩みたいという希望をもっていたところ、同人は、被告の安全配慮義務違反に起因する本件事故によって短い人生を終えなければならなかったのであるから、それによって同人が甚大な精神的苦痛を被ったことは容易に推認できるところである。
本件事故によって一伸が被ったこの精神的苦痛を慰謝するには金一八〇〇万円をもってするのが相当である。
(三) 相続
前記のとおり、原告らは一伸の両親であり一伸の相続人として同人の有する権利を相続したと認められるので、右(一)及び(二)の合計の二分の一を相続によって取得し、その額は、各自三六一九万九五五二円となる。
2 原告ら
(一) 慰謝料
原告らの請求は、安全配慮義務違反に基づく債務不履行もしくは不法行為に基づく損害賠償請求権をその請求の原因とするが、両者はいわゆる選択的併合の関係にあり、一方が認容されることを他方の解除条件とする関係にあるところ、前述のように被告には債務不履行による損害賠償請求権が認められる以上、不法行為による損害賠償請求を認容することはできない。そして、債務不履行による損害賠償請求においては、被害者以外のものに固有の慰謝料請求を認める根拠がないので、原告ら固有の慰謝料を認めることは出来ない。
(二) 葬祭費
<書証番号略>、原告吉井幸男の供述及び弁論の全趣旨によれば、被告の安全配慮義務違反と相当因果関係にある葬祭費用額は、金一〇〇万円、原告ら各自につき各金五〇万円と認めるのが相当である。
3 したがって、以上の合計額は各原告について各自金三六六九万九五五二円となる。
4 過失相殺
一伸は大学校の一年生であり、成人と同程度の判断能力と自己の行動に対して責任を持つべき年令に達していたこと、本件事故は大学校の正課の教育訓練の一環と考えるべき校友会活動において生じたものであるが、右校友会活動においては学生の自主性が認められており、右活動における安全の確保及び事故発生防止は、当該活動にかかわる学生が自らの判断に基づき自らの責任で自主的に行うことが期待されていた面があること、これに加え、前記認定のとおり、本件降下において、一伸は、B地点で真後ろに風を受ける状態になった後、そのままの状態であれば風下に進行し利根川に着水する危険があるのだから、地上の誘導に従って風に正対する必要があるのに、地上からの指示に従った適切な操作をせず(証人坂元の証言によれば、一伸は降下中、地上からの指示に基づいた可能な危険回避措置を採らなかったことが認められる。)、かなりの時間を要しE地点になって初めて風に正対したうえ、その後利根川への着水降下が予想される事態に至ったにもかかわらず、着水準備行為を行わないまま利根川に着水し、結局死亡するに至ったものであり、一伸には通常の注意を著しく怠り自ら危険な状態を作出したといわざるを得ない状況があること等の事実を考慮すれば、本件事故の発生には右のような一伸自身の過失が大きな原因になっているものと認められるから、本件事故の損害の算定につき七割の過失相殺をするのが相当というべきである。
そして、本件事故発生に関する一伸の右過失を斟酌すると、被告において負担すべきものは、前記認定額の三割にあたる各原告について一一〇〇万九八六五円(一円未満切捨て)となる。
5 損害填補
<書証番号略>によれば、本件事故に関し、原告らに対し、財団法人防衛弘済会から弔意金として金一〇五万円、大学校校友会から弔意金として金一七一万円及び防衛庁共済組合から埋葬料金八万円計二八四万円が支給されたことが認められるから、右金額の限度で原告らが損害が填補されたものとして、これを控除するのが相当である。その控除額は原告ら各自につき各金一四二万円である。
そうすると原告らが請求できる額は各自金九五八万九八六五円となる。
6 弁護士費用
弁論の全趣旨によれば、原告らは本件訴訟を原告ら代理人弁護士に委任したことが認められるところ、本件訴訟の難易度、認容額等諸般の状況を考慮すれば、原告らが被告に対し弁護士費用の賠償として請求できる額は各自金一五〇万円と認めるのが相当である。
七結論
よって、原告らの本訴請求は、被告に対し、それぞれ金一一〇八万九八六五円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六一年二月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを認める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法八九条、九二条及び九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官坂本慶一 裁判官大澤晃 裁判官三木勇次は転補のため、署名、押印することができない。裁判長裁判官坂本慶一)
別紙<省略>